帰省の途上

逢ひたくて 盆待つ心 あはれ哉

実家に向かう新幹線の中で、俳句(になっているのかどうか)
などひねりつつ、盆休みに突入したのは先週末のこと。
会うなり、兄に"お前、太り過ぎやわ〜!!"とのたまわれ、
"取り返しがつかんようになる前に、どうにかしいや"と
念をおされる。

にも関わらず、笑っては食べ、食べては笑い、気がつくと
寝ていたり・・・の毎日で、こちらに帰る頃には、さらに
ぷっくらぷっくらな我が姿。
どうなのかね。

今日、体を動かしに行ったら、はっきりと重くなってる
ことを実感。
ま、実家に帰れば、そんなものよ。と、吾慰める我が心。

食べる以外に帰省中にしたことは、お墓参りは当然として、
まず、山登り。登りに1時間20分、下りに50分くらいの山。
子供のころより親しんできた山とは言え、ひっさしぶり
なので息切れと筋肉痛を心配していたものの、どちらも
OK。思っていたよりすいすい登れてひと安心。
筋肉痛も、3日経ってもきてないってことはOKでしょ。
しかし、まさか山に登るとは思ってなかったな。

それから、突然ふって沸いた、友人とその父親との
20数年ぶりの再会に、なぜか私が立ち会いました。
友人より、彼女の父親のドキドキ緊張感や、早く
ふたりっきりで話したいなあという感じ、
それより何より娘に会えた喜びがガシガシ伝わってきて、
やっぱりお父さんっていいなあ、と思ったのでした。
どんな話を娘がしても、"うん、うん"って、
ぜーんぶ聞いてあげるんだものね。

それから、猫とたーっぷりと遊んだ。
近所の温泉銭湯に行った。
生け垣の枝がピュンピュン伸びてたので、
刈ろうとしてたら、近所のおじさんが
電動のでギュイーンと一気にきれいにしてくれた。
近所にできた、寿司カフェに行った。
あ、これは食べ物の話か。
その他には・・・こんくらいかな。

ああ花火がしたい。
実家で母としてくればよかったな。
夏の終わりの花火を誰かとしたいけど、私が
この人としたいなと思う人はいても、実際に
誘えそうな人やつきあってくれそうな人が
いないのが寂しゅうございます。。。

猫がいれば、ベランダでするんだけど。
って、それも寂しゅうございます?

今日、夜になって空を見上げたら、大きな月が
浮かんでた。
丸くて大きくて柔らかくて、ああ月だ、と思った。
満月かどうかは、私の目ではわからない。
たぶん、まだなのかな。あと2,3日くらいかな。
確かなところはわからないけど、ほぼ満たされている
丸い大きな月を見ると、"ああ満月だからだ"と
安心することにしている。

妙にテンションが高かったり浮き足立ってたり、
変に塞ぎ込んだり陰々滅々と自己嫌悪の闇に
のまれていくときは、たいがい、月は丸い。
だから、いつからか、私は"ああ、満月だからか"
と情緒の不安定さの理由をそこに見て、ほっとする。
見上げた空に、細い月が浮かんでいたら、
"やっぱりな"と、これまた情緒の不安定さの理由を
そこに見て、ほっとすることにしている。
"やっぱり満月じゃないんだもんな"って。
"まだまだ満月に遠いもんな"。
"満月を通り過ぎたばかりだもんな"。
"満月には、まだ日があるもんな"って。
いいときも悪いときも、月を見れば、理由がわかって、
ずいぶんと落ち着くのです。

ずっと前、初めての恋が終わって、初めての次の恋が
始まろうとしていた若い恋のころ、私は月に願掛けをした。
その願いはかなわなかったので、それ以来、私は
月に願いごとをするのは悪いような気がしてできないでいる。

何度か、願いたいことはあったんだけどね。

今夜も、丸くて満たされて柔らかくてきれいなお月さまに、
お願いしたいことはあるんだけどね。

どうかな。
それとも直接、きいてくれる?