結局のところ、私は彼女を許すことができないままでいるのだろう。
父のことも、祖母のことも、さっちゃんのことも。
それ以外の彼女にとっては忘却の彼方であろう数々の言動も、やはり許せないまま薄く薄く私の中に降り積もっている。


しばらくは、口をきかないほうがいいのだと思う。今回のことに関して、私にはもう少し時間が必要なのだと思う。結局のところ許せないままいるにしろ、許せないということを口に出さずに済むまでには、私にはまだ時間が足りない。


他人を許すことを覚えなさいと言われる。言う人によってまったく聞く耳を持たないこともあるが、言ってくれる人によってはおおいにそうだと本気で思う。反省する。そのことは、よく自分でもわかっているのだ。だから、ずいぶんといろんなことを忘れようとしてきた。実際、忘れたこともあるのだろうし、忘れずにいることも、"仕方のないこと"だとか、"そういう流れだったのだ"などと思うようにしていたりもする。


けれど、今回のようなことがあると、ああ私は彼女を許すことができないまま、もうずいぶんな年月を過ごしてきたんだなと思う。ある瞬間に、それらのことが吹きだして、失った心の悲しさが生々しく甦って手もなく泣いてしまう。誰にも、どうしようもなかったことだとわかっているから、そして彼女は彼女の優しさや人の好さでできることをしているとわかっているから、彼女がそれは自分の人の好さの裏返しだと思って省みようともしない鈍さやいい加減さや杜撰さに、私は神経をキリキリと締め上げられてひとりでまいってしまう。
責めたところで私の身勝手さが強調されるだけだとわかっているし、そもそも責めるようなことでもないと理解している。わかっては、いるのだ。それに、彼女も私などが思いも及ばない私とは違った神経のありどころで生々しく傷を抱えているのかもしれない。だから言ったところでどうしようもないことは、ひとりでいるときのみぞおちが痛くなるような泣き方でどうにか口に出さずにいるようにしようとするしかない。


だから、今回のことには、まだ時間が必要なのだと思う。お盆に会えば、私の神経はキリキリキリキリ締め上げられた果てにどんなひどいことばを漏らしてしまうか知れやしない。もう少し、時間が必要なのだと思う。許す許さないの問題ではないと頭でいくらわかったところで、私はまだうまく受け入れることができずにいる。