いまの時代の子供たち

アメリカの牛肉輸入再開で衣食住の食の安全性がさらに失われ、どうやら"そんなもん"なのは常識だったらしい日本の建築業界の実態が明らかになるにつれ住への信頼感が激減し、次は衣の分野で驚愕の事実が露見するかもしれないと思われる2005年も12月の半ば、文字通り冷えきった空気が日本上空を覆っている。
衣食住が事足りなかった時代の切羽詰まった不安から、衣食住が過剰にあるがゆえの不信。ちょうど良い加減の時代、は、あっという間に過ぎ去ったのか、そもそもなかったのか、そんなもの当たり前だとばかりに慢心してありがたみを忘れていたのか。
知らぬが仏、だけだったのかもしれないが、いまさらながら私が子供だった時代は実に平和だったよのぉと思う。時代がいまほど神経質ではなく、いろんなことの事実解明も進んでおらず、前のめりな明るい勢いだけはあったからなのか、舌が真オレンジに染まるようなジュースをがぶがぶ飲んでいる子たちがいた。夏休みが終わると、真っ黒に日焼けして皮が何度も剥けたような肩をぴかぴか光らせている子たちがいた。アトピーの子もいたのかもしれないが、問題になるほど多くはなく、塾に通う同級生たちは、ちゃんと次の日は学校に来ていた。そんなの、当たり前のことだった。稀に起こる凶悪な事件は、稀にしかいないような人が犯すものだった。そんなふうに思っていた。たぶんほとんどの人が、そんなふうに思っていた。だから小学生は中学生に憧れたし、高校生は大学生に憧れていた。大人になれば何でもできるんだと思っていた。そこにはいまよりもっと眩しい世界があるはずだった。
いまの時代に生きる子供たちに、私は何ができるだろう。
ニュースを見るにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいなる。
こんな時代になっちゃって、ごめんね。こんな時代にしちゃって、ごめんね。
これだけ子供が被害に遭うということは、もう犯人だけの罪じゃないのだろう。子供を狙う人、子供を虐待する人、子供を恨む人。被害に遭ったひとりひとり。その家族。罪を犯したひとりひとり。とんでもないことになっている。罪は、罪を犯した本人のみが負うべきものだと思うけれど、考えなきゃいけないのは私たちだ。眉をひそめたり、変わった人だとか信じられないとか異常だとか言ってないで、自分には何ができるかを考えなきゃいけないんだと2005年の末に初めて思う。
こんな時代に子供時代を過ごさなきゃいけない子供たち。どうすればいいんだろう。何ができるだろう。

京都での事件は、打撃だった。学校の教師ではなく塾の講師だとはいえ、子供にものを教えている人間が、まだ小学生の児童を殺める。あり得ない話だ。絶対にあってはいけないことだ。なのに、このニュースを知った瞬間、私は"ああ・・・"と思った。嘘でしょとか何かの間違いでしょではなく、ついにここまで、と思ったのだ。それがおかしい。そんなふうに感じること自体、もうおかしい。
犯人が休学処分を受けていた大学の総長が、今回の事件について謝っている映像がニュースで流れていた。だけどもう大学生なのだ。しかも未成年じゃない。教育が足りなかった、なんてことはないはずなのだ。休学処分となった学内での事件をちゃんと追及しなかったことが責められるのかもしれないが、そんなの、その時点でいずれ大罪を犯すなんてわかるわけがない。学生の前途を慮っての退学ではなく休学処分はいけないことだったのだろうか。

昔、幼稚園のころ、私は奈良に住んでいた。うちにも、お隣の姉妹の家にも、夏休みになると大学生の叔父が遊びにきていた。お隣の叔父さんは、というかお兄ちゃんはすらりと背が高くてかっこよかった。私たちを腕にぶらさげてくれたりして、優しかった。うちの叔父の○坊兄ちゃんは、一見、とっつきが悪いのか隣の姉妹は怖がってじゃれつかなかったけれど、私はどしどし背中に登ったり手をつないで秘密の場所に連れていったり、うるさがられながらも甘えてはしゃいで大好きだった。
大学生ってかっこいい、と思っていた。大学生は大きくてかっこよくて優しいと思っていた。憧れていた。いつか自分も大学生になれるのかなと憧れていた。そんな時代が、本当にあったんだよ?
いまの時代に子供時代を過ごさなきゃいけない子供たちは、私たちとはまた違うたくましさや夢や憧れを持って生きていけるのかもしれない。そう思いたい。そう思いたいけれど、大人を、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちを、友だちを、自分より小さな子たちを、当たり前のように信じていられる時期があまりにも短すぎる。
何十年かかけて、こんなことになっている。これからの何十年かで、少しはマシな世の中に変えられるだろうか。私は、まず何をすればいいのだろう。