「ビューティフル・ボーイ」(河出文庫 トニー・パーソンズ著)

「ビューティフル・ボーイ」、文庫で上下巻、あっという間に読了。涙ナシには読み進められない、みたいなことが売り文句にあったけど、くすりとも泣かなかったよ。えっ、どこで泣くん? って感じだった。笑い、もなかったな。感動? 何それ忘れてたっ!!(ぐらいだったのは事実ですが、それは私の心の状態の問題であって、おおむね評判はよい本のようです。誤解なきよう)。
まず、イギリスで75万部売れたベストセラーであるということのみならず99年だかの"ことしの一冊"にも選ばれたらしいし(「ハリー・ポッター(の何巻かは知らぬが)」を抑えての快挙らしい)、それより何より文庫になったこの本を目にした瞬間に思い出したのが、織田裕二染五郎とあとひとり誰だっけ、3人の男の話で宮藤官九郎が脚本を書いたドラマ「ロケット・ボーイ」(織田裕二が途中で腰痛になったヤツね)は、本当は「ビューティフル・ボーイ」というタイトルだったのだが、どこの国かの小説に同名のものがあり、版元(というかいま思えば原題は「Man and boy」なので、日本で出版するにあたって"翻訳"したタイトルが「ビューティフル・ボーイ」。ということは河出書房)が、「ビューティフル・ボーイ」というタイトルの使用をやんわりとかどうかは知らねど禁じたため、「ロケット・ボーイ」に変更になったという経緯があり、いったいそんなチカラを持ってる小説ってどんな物語なのだろう、とものすごく素敵な期待を当時の私は膨らませていた、ということだった。だから文庫の上下巻を喜び勇んで手にとってレジに並び、にこにこしそうになっていた。ああ早く読みたいぃぃぃ!!
内容など何も知らずに、あとがきもあらすじも敢えて読まずに、"腰巻き"にあるイギリスのベストセラー小説みたいなあおり文句はイヤでも目に入ってきたけれど、できる限りまっさらな状態で読む楽しみを味わおうとワクワクしていた。

30歳になっていく男の日常。結婚と浮気と離婚。仕事。子供の誕生と愛情と父子家庭。失業。両親。子供の頃の思い出。若さ。恋愛。喪失感。成功。期待。空白。満たされない思い。感謝。エディプスコンプレックス。息子。父親。病。新たな恋人。連れ子。元妻。元夫。父親。母親。親権(いまは共住権と言うらしい、ブリテンでは)。
などなどなど、ありきたりな話なわけだが、それをどう書くかで、人の心に響いたり、届いたり、揺さぶりをかけたり、美しくなったり、詩情を宿らせたりするものだと思うのだが、この作者はありきたりな話をありきたりに、割と個人的な思いに即して書いていくので普遍性がないというか、ただの愚痴不満に流れるきらいがあるというか、なんだか心のこもらない感想しか私からは出てこなかったのだった。残念。
この作品が書かれてから私が読むまでの6年間というタイムラグは、大きいのかもしれない。シングル・ファザーへの偏見って、いま、そんなにあるのかな。6年前なら、男が昼間からひとりで子供をつれて歩いていたら奇異の目で見られたのかもしれない。同じ幼稚園に子供を送り迎えする母親たち全員から無視され続けるのかもしれない。ただ、個人的な話に流れさえしなければ、6年であれ20年であれタイムラグがあろうがよい作品というのはあるわけで、この小説もまた違っていたのではないかと思うのだ。
物語の筋立て、道具立ては、そうそう新規なものってあるわけじゃない。こちらが新鮮な読者ひよこの間は、うわー、へえぇ、と"新規"だらけで目まいがするくらいだが、読者としても生まれてからの年数も経てくると、"そうそう新規なものってあるわけじゃない"とかなんとかエラそうに言いだすようになるわけだ。
でも、そのよくある話が読者(私)にとっての"とっておきの話"になって、ずっと手許に置いておきたくなる、いつかまた読み返したくなる物語になるかどうかは、その物語を作者が"どう書くか"に尽きると思う。
それは文体であり、何をいかに描出するかであり、どんなウソを良しとしどんなリアリズムをナシとし、どんなテンポでどんなリズムで、どれくらいのタイトさ、ゆるさで書くか。
その相性が大切なのだと思う。私の好きな作家と私という読者は、おそらくその相性が良いのだと思う。

で、残念ながらトニー・パーソンズ氏と私の相性は、相いれなかったようだ。途中でほうりだしたくなったりはしなかったけれど、私には冗長で、ごく表面的なお話にしか読めず、コレといって心に響いたり、はっと情景が浮かんでしみこんだりすることもなく、またいつか何かの拍子にこの感覚を思い出したりするんだろうななんてこともなさそうで、感想はといえば「グレートブリテン民はこういうのがお好みか」ってことだったりする(そういえばタブロイド紙とか噂とか好物だものね)。

今回は、当たらなかった。残念。

と思っていたら、訳者あとがきに、この作品が多くの読者を得たのはその普遍性にある、とかなんとか書いてあってびっくら。しかも作者によると、個人的な話にしたくなかった、そうだ。
うへっ。私ったら、読書のチカラ、まるでナシ! これ、半分くらいは個人的な愚痴不満だよなー、なんて思ってたんだもの。残りの半分のさらに半分くらいが個人的な思い出や郷愁や憧憬とかで、あとはどうすれば受けるかとか、こうすれば読み飽きないだろうとかっていう策略と(それは全くもって悪いことだとは思わない。必要なことだと思う)、そこにぱらぱらっと何かをふりかけたって感じかと思ってた。うぎゃ〜!!