小泉純一郎の軽薄

昨日、大相撲九州場所が千秋楽を迎えた。
横綱朝青龍の7連覇達成、年間84勝、年六場所制覇の大記録が生まれたことや、おいおいの胴上げに十四日目の大泣き、琴欧州大関昇進魁皇角番脱出など、思うところは多々あるが、それはおいておく。


それより、どうなんだろう、小泉純一郎
内閣総理大臣杯を渡しにのこのこやってくるのはまあいいとして、あの得意満面のコメントだ。
「新記録、大記録、見事だ! おめでとうっ!!」
鼻の穴、ふくらんでるって。
言ったあと、どうだ、的に朝青龍を見ながら、土俵の上で目には見えないけれど日本中から送られているであろう称賛の嵐を全身に浴びているような得意満面。
でも、私には"ひょぉ〜〜〜〜"と寒い風が吹き抜けるのが見えた。確かに見えた。


前回、小泉純一郎がのこのこ土俵にあがったのは、4年前。
当時の横綱貴乃花がひざをがくがくさせながら武蔵丸に勝ち、優勝を収めた夏場所のこと。
「痛みに耐え、よくがんばった! 感動したっ!!」
鼻の穴は膨らんでいた。
でもこのときは、まだアラが前面には出ていなかった小泉純一郎という内閣総理大臣内閣総理大臣杯を渡す、っていうことが何か新鮮で観客も世間も沸き上がったし、五月という気持ちのいい季節柄、何かこれから日本にもいいことがあるんじゃないかという期待すら抱かせた。
「痛みに耐え、よくがんばった! 感動したっ!!」のコメントも、その場で小泉純一郎が感じたことが言葉となってあふれだした、かのようにも見えた。


だけど今回は違う。
「新記録、大記録、見事だ! おめでとうっ!!」
すでに用意されていた言葉だ。
「感動したっ!!」も、まあ本当のところはすでに考えられていたものなのだろうけれど、今回は聴いた者に勘違いさせる余白すらない。
人気とりにでてきやがって。
そんな感じ。
感受性豊かな俺。
感動しちゃう俺。
心はいくつになっても若い俺。
それより重要なことがあるだろが、あんたは総理なんだから。


小泉純一郎は、日本をアメリカにしたいのかなと思う。
もう、言い尽くされてることなのかもしれないけど、やっぱりアメリカにしたいんだろうなと思う。
相撲の土俵の上で、俺アピール。
片手をたかだかとあげかねない勢い。
スピーチを始めかねない勢い。
きっとアメリカになりたいんだ。


小泉純一郎が相撲の土俵にあがったのは、偶然にしろ、いずれの場合も、"いやいや相撲っていうのは・・・"と
長年の相撲好きが眉をしかめながら思い、だけども声高に言うことは控えるような、なんとも名状しがたい場所だった。
貴乃花が土俵の上ではずれた膝をがくがくさせ、仕切りの間にどうにかはまって「はっけよい」の声がかかる。
武蔵丸はどうすればいいのよ。
手負いの鹿を足げにはできなかった。
そこが武蔵丸。良くも悪くも武蔵丸
眉を思いっきりさげ、しっぽがあればしっぽもだらんとさげきって、貴乃花の動きたいように自分も合わせて土俵を割った。
こんな相撲を相手に取らせるような状態なら、出てきちゃいかんだろう、との思いは相撲好きは胸の奥に畳んでおいた。
世間が鬼の形相だの感動しただのとまるで美談のように盛り上がっているのなら、それはそれでそっとしておこうかと。


朝青龍が計り知れない重圧の中で、ひとり勝ちしている相撲界。
琴欧州がワンチャンスで大関をしとめた相撲界。
"極悪面(づら)Bros."として名高いロシアの露鵬白露山の兄弟揃っての勝ち越し。


今場所、幕内は上位下位関係なく、荒い相撲が目立った。
言い換えれば、つまらない相撲。
相撲の妙味はどこへいくのだろう。
朝青龍の相撲は、確かにおもしろい。速いし、うまい。
ただ、まだ若いから(と思いたい)、味というものは感じられない。
外人同士の引き叩き、立ちあいの変化の多さはどうだろう。
それにつられるように、勝ちを拾いにいく日本人力士。
つまらない一番が重ねられていく。
一日のうち、おおっと膝を乗り出すような取り組みは、二、三番あれば、今日はおもしろかった、というようなもの。
だけど、それじゃあ哀しくなってくる。


その世界の頂点に立つものの色が、その世界に浸透するという。
思えば曙が横綱だったときは、相撲界全体が巨大化し、
朝青龍時代に突入して時間を経るにつけ、平均体重は大幅に減っていった。


アメリカになりたい小泉純一郎内閣総理大臣になって、もう何年になる?
その色は、日本にどのくらい浸透してしまったのか。
相撲界よりうんと大きい日本のことだから、そう簡単には色が変わったりはしないだろう。
だけども感動したがり&感動した自分を見てほしがりな風潮は、間違いなくいま蔓延している。
猛威である。
人前、ってことに対する認識が、確実に違ってきている。
恐怖ですらある。
ああもう、恥ずかしい。
私が恥ずかしがることはないのだが、得意満面に感情を向きだしにしている人を見ると、私はどうにも恥ずかしくって困ってしまうのだ。
困ってしまって身の置き所が減り、さらに困ってしまうのだった。