誕生日

今日は宮沢賢治の誕生日であり、マザー・テレサの
生まれた日であり、藤竜也が64歳になり、ずいぶん前に
生まれた私が、無事、健康にいままでの年月を過ごして
来れ、何人かの人に"誕生日おめでとう"と言ってもら
えた日でもある。
(同じ日生まれも、さまざまなり)

元はと言えば父親の学生時代の友人のSさんは、
ひょんなことからここ10数年、私の誕生日か
その前の日に必ず電話をかけてきてくれる。
おまけに、プレゼントも送ってくださる。
以前は、きれいなデミタスカップを一客ずつ、
数年にわたって贈ってくれていた。
遠方に住まわれるようになってからは、その土地の
海の幸、山の幸を送ってくださる。
今年も、昨日の夕方に電話をいただいた。
近況と、ある暗示と、明日、新鮮な美味しいものを
届けます、と。

昨夜、帰宅すると友人Kからのポストカードが届いていた。
彼女もこの10数年、欠かさずポストカードを送ってくれる。
必ずバースデーカードじゃないところが、らしくて笑える。

今朝、起きると母から"おめでとう"のメールが。
プレゼントは、名画座の一年フリーパスにしてもらう。
それと、どっちにしようか未だお悩み中のアクセサリー
にしてもらう予定。
この年になって、まだこんなに親に甘えていいものか。
う〜ん、いいものなのだ!

学生時代からの親友で、イギリスに住んでいるYが、
子供ふたりをつれて里帰りしていたのだが、明日、
ロンドンへ帰るということで、今日、成田に向かった。
その途中で落ち合って、2時間ほどの濃いおしゃべり。
とんでもなくかわいい子供ふたり。
なんて甘やかな気持ちにさせるの、子供って!!
短い逢瀬の間に、少年ふたりはありったけの言葉と
身体表現で、"いま"の自分の全てを伝えようとして
くれる。
ご飯を食べていても、急いで噛んで飲んでふたつも
みっつも同時に喋って、急いで噛んで飲んで本を
出してカードを見せて誰が強いか教えてくれる。
濃い、濃い、濃い、親密な甘い時間。
親友Yは、今日が私の誕生日だということを
(たぶんころっと)忘れていたけれど、
一緒に過ごせたことで、もう大満足。
今日、逢えることになったという偶然が、既にお祝い。

親友Yと少年ふたりを見送って、一気に寂しくなった
帰り道、メールが2通。
一通は、昔の職場の先輩から、"確か誕生日だよね"と。
思い掛けないことで、うわ!とほころぶ。

もう一通は、中学からのつきあいの友人Cから。
ここのところ、Cはいろいろと大変な目に遭っている
のだが、またもや大きな出来事が出来し、あわあわ
しているというメール。
帰宅し、電話する。
ちょっと落ち着きを取り戻したらしく、事の次第を聞いた
あとは、話題はあれからそれへ、次第にお気楽方向へと
流れていき、やがては笑いもふんだんに。
ひとつひとつの出来事はCにとっては大変だったり、かなり
辛いことだったりもするけれど、だけど物事がうねるように
大きく動きだしているようで、それはおそらくCにとって
いい感じの流れじゃないかと私は感じていて、だんだんCも
そう思い始めているようで。
そんなこんなでCの頭からは、今日が誰の誕生日かなんて
ことは吹っ飛んでいたけれど、私的には、今日という日に
Cとたくさん話せた巡り合わせに、じんわり唸る。

さて。
こんな私のバースデー、果たして楽しかったのか、
寂しかったのか。
そりゃあ、寂しいとも言える。
正直、寂しさを感じてもいる。
だけど、少なくともこれだけの人が私のことを
多少なりとも思ってくれているなんて、
自分の来し方を省みるにつけ、望外の幸せと思う。


とにかく、感謝。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
・・・・・・ありがとうございます。
ありがとうございます!!

目一杯、のようなことを心がけようかなんて、
昨日の夜、寝る前にふと思った。